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Rep:アニメFILMS 松本零士トークライブ
カテゴリ: 07.イベント
3/25松本零士トークライブ


 3月21日~開催されているアニメFILMSの松本零士トークライブ行ってまいりました。もちろん、その前の15時から上映されていた富山さん主演の「タイガーマスク」(「黄色い悪魔」)「サイボーグ009」「宇宙海賊キャプテンハーロック」(「「宇宙にはためく海賊旗」 )(それぞれ第1話だと思われます)が上映されました。中には子供さんがたもいて、耳に飛び込んできたのは「一番面白かったのは一番初めの(タイガーマスク)」といっている女の子の声でした。お父さんがどう答えているかは聞こえませんでしたが、最近は女の子が強いといわれますが、こんなところでも実感してしまいました。

 今回上映された作品ですが、全部 演出に田宮武氏の名前がありました。10代の頃は演出に目が向くことはなかったのですが、こういう人達が品質を保ち続けてくれたのかなぁなんて思いました。
 
 「タイガーマスク」で久しぶりに聞く富山さんの声。当時のマイクはやはり品質が悪かったと思うのですが、他の人に比べて、のびがよくて、演技がよく聞こえます。どんなマイクを通しても、演技は演技として聞こえるようにいろいろ工夫されていたのではないかと思いました。主人公の心情を大事にされていたんでしょうか。

で、4時ごろ、上映が終わり、外に出ると150人くらいの待ち行列ができていました。会場は500程度はいるところですので、並ぶなんて意識しておりませんでしたが、かなりな人気にちょっとうれしかったです。中には10代後半くらいの若い世代の方もありました。




 4時半過ぎ。ようやく松本御大登場。BGMは銀河鉄道999でもなく、宇宙海賊キャプテンハーロックでもなく、ささきいさおさんが歌う「宇宙戦艦ヤマト」でありました。
 
 まず、どうして漫画家そしてアニメーション制作を志したかということが話題になりました。戦争中、明石にいらっしゃったそうですが、そのときに明石公園で「クモとチューリップ」というのが上映されていたそうです。それまでムシというのは遊びの対象でしかなかったのに、このアニメの世界のムシは、今まで自分が思っていたものとは違うムシというものだったそうです。そのときは5歳だったそうですが、そのアニメに対する憧れというのでしょうか、その熱い憧れが今の松本氏を支え続けたのだそうです。また後年、手塚治虫氏が「おまえ、なんか『クモとチューリップ』みたいな作品ばかり書くな」といわれたそうですが、その映画のことを話すと、実は手塚氏も15歳の頃、そのアニメを明石公園で見ていたのだそうです。奇妙なところで縁がつながっていたことを思ったそうです。
 
 また、手塚治虫氏、石の森章太郎氏、松本零士氏らは当時からアニメーションの収集家だったそうです。古道具屋に行っては、古いフィルムを安く買い込んでいたらしいです。そんな自分達を「自称日本三大アニメ収集家」と呼んでいたそうです。ところが、昭和37年、警察から「フィルムを買い込みすぎる。不法にフィルムを公開して金を稼いでいるのでは」と疑惑をもたれて、3軒、いもづる式に家宅捜索にあったそうです。「資料に使うのだ」というと、簡単に許してもらえたそうです。この事件は「自称日本三大アニメ収集家芋づる事件」と3人で後々の笑い種にしていたそうです。

 ところが1983年、手塚治虫氏が、1998年、石の森章太郎氏が逝去しました。彼らが持っていた映写機など機材は今、一式松本先生のところに保管されているそうです。それを語るときの松本先生はちょっぴりさびしそうでした。




 そして、どうして「銀河鉄道999」のような漫画を描いたのかということを司会者が聞くと、それは松本氏が18歳の頃、上京するときに鉄道から見た満天の星空その光景が作品の源になっているそうです。
 
 「こうやって星空の中を汽車が走っている漫画を必ず描いてみせる」とそう心に誓ったそうです。自分の前の席にはそのとき誰もいなかったそうですが、「絶世の美女が前に座っている。その絶世の美女と少年の話を描くんだ」とそう思い続けたそうです。

 そして、その絶世の美女、通称「松本美女」と呼ばれる女性ですが、実は高校生の頃に原型ができていたそうです。高校の学生証の裏に書いた自分への言葉とその美女の絵を胸に若い頃を頑張ってこられたそうです。そして最近2000年になって、檀家の寺の友人から「君のうちの縁の写真が出てきた」と連絡があったそうですが、その発掘された明治時代の銀版の写真とスターシャの顔がそっくりだったそうです。彼女の遺品とされる品物も松本御大の手元にあるそうで、「あの美女は私のDNAが描かせたのだ」とちょっと大袈裟に言っては照れていらっしゃいました。
 



最後に「若手へのメッセージを」ということで話されたのが、「宇宙戦艦ヤマト」で古代守にかける言葉「明日のために今日の屈辱に耐えるのだ」という言葉について言及されていました。

「あの物語は、この沖田艦長が古代守に言う言葉から始まる。この言葉は沖田艦長も自分に言い聞かせながらいっていた言葉だ。そしてこの言葉は私の航空隊にいて部下をたくさん死なせてしまった父が、生前、よく言っていた言葉なんです」

私は戦争を体験したことはありません。祖父母も亡くなった今、そのイメージを明確に伝えてくれる人は身近にはいないのですが、言葉だけでは伝わらないんですが、「生きることって大事なんだよ!」ということが松本氏の言葉の中からほとばしりでていました。生死の境を彷徨ってきた人でないと、言えない言葉ばかりでした。そんな言葉を聞けただけでも、このトークライブに来てよかったと思いました。




その後に「銀河鉄道999」が上映されたわけですが、松本氏のトークライブのあとですから、メッセージがビンビンと伝わってくるわけです。特に機械伯爵のイメージは10代の頃よりも今のほうがはるかにイメージは広がりましたし、ほとんどセリフはありませんでしたが、リューズの哀しさというのも、今のほうが、理解できます。

一番、うっときたのは、トチローの最期のところですね。宇宙放射線病をまるで結核のように表現をしてゴホゴホと咳き込んでいるトチローさんの声が晩年の敬さんの声と重なりました。そして、パーッと光を浴びながら

「俺にはまだやりたいことがあるんだ!」
 
 これは、トチローだけではなく、晩年の敬さんの気持ちであったかのように思えます。そして、アルカディアの心となったトチローのように敬さんもまた「友の船の心となって、俺は生き続け」ていて、まだ、お声を聞けているのは不思議な感じがしています。
 
 とにかく10代に見たときはそんなに、感情的に見ることがなかったのに、今、見ると、人物の背後がわかってきたのか、映画の間中、鼻と涙が止まらず、「花粉症かアレルギーになったか」と本気で心配するほどでした。(特に問題なく、今は元気です)

 また、この年齢になって映画の見方ができるようになりましたが、スタッフの中に後にテレビの千年女王の作画監督やキャラクターデザインを手がけられた兼森義則さんやヤマトの小泉謙三さんの名前を見ると、このときの力のあるスタッフというのは限られていたんだと思わずにはおれません。



 ・・・では、行っていない方にちょっとでも雰囲気を楽しんでいただけると幸いです。

 ではでは。
 
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編集 / 2007.03.26 / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
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